何かを始めようとするとき。
これからの人生について考えるとき。
あなたはいつも、「正しい答え」を探していませんか。
検索して、
本を読んで、
誰かの成功例を見ては、
「失敗しない選択」を探し続ける。
けれど気づけば、
“探しているだけ”で、
何も始まっていない。
それでも、
「まだ答えが足りないだけだ」と思い、
さらに探し続ける。
そして、
なぜか動けないまま、
時間だけが過ぎていく。
私も、そうでした。
40代で転職し、
「ここからもう一度やり直そう」と思ったはずなのに、
仕事がうまくいかない自分を前に、
気づけば、こんな言葉が浮かんでいました。
――情けない。
――社会人としても、父親としても失格だ。
毎朝、職場に向かうだけで胸が締めつけられ、
胃の奥が重くなる。
「まさか自分が、こんな状態になるなんて…」
そんな言葉が、何度も頭をよぎりました。
副業でも同じでした。
長く続けているのに、結果が出ない。
家族、とくに妻の期待を思うたび、
「自分には稼ぐ才能なんてない」
そんな声が、内側から湧いてくる。
そのたびに私は、
“誰かの答え”を探しました。
この人のやり方なら正しいはずだ。
この教材なら失敗しないはずだ。
間違えない道を、
外に求め続けました。
……でも今なら、
はっきりとわかることがあります。
あのとき私が探していたのは、
「成功する方法」ではありませんでした。
“自分を信じなくても済む理由”
“自分で決めなくてもいい根拠”
それが、欲しかったんです。
自分の判断を信じられなくなったとき、
人は自然と、外に答えを求めます。
それは弱さでも、逃げでもありません。
ただ、
自分の内面と、
少しずつ距離ができてしまった――
その結果なのです。
この小さな冊子は、
あなたを変えるためのノウハウではありません。
「なぜ、自分はいつの間にか
“自分で決められなくなっていたのか”」
その理由を、
あなた自身の内側から見つめ直すための、
静かな入口です。
ここから先で扱うのは、
“正解”の集め方ではありません。
あなたがこれまで、
「こんなものだ」と押し込めてきた
違和感や本音――
本当はどう感じていたのか。
本当は、何を怖れていたのか。
それを、もう一度
自分の中に聞きにいくための時間です。
答えを外に探し続けてきた人生から、
自分の感覚を、もう一度信じてみる人生へ。
その小さな転換点として、
InnerShiftは始まります。
第1章「こんなはずじゃなかった、という感覚」
「こんなはずじゃなかった」
気づけば、
思い描いていた未来とは違う場所に立っている。
頑張ってきたつもりだった。
間違えないように、慎重に選んできた。
その場その場で、“正しそうな方”を選んできた。
それなのに、
なぜか今、立ち止まっている。
きっとあなたは、
怠けてきたわけじゃない。
むしろ、周囲の期待に応えようと、
真面目に、誠実に、生きてきた側の人だと思います。
ただ、その過程で、
「自分はどうしたいのか?」
という根っこの感覚を、
少しずつ後回しにしてきたのかもしれません。
誰かの期待に応えようとするたび、
「正しいかどうか」
「結果が出るかどうか」
そんな外側の基準を、
自分の気持ちよりも優先してきた。
その積み重ねが、
今の“動けなさ”につながっているのだとしたら――
それは、あなたが弱かったからではありません。
「私も、同じ場所に立っていた」
私も、まさに同じ場所に立っていました。
40代で管理職として転職し、
「ここからもう一度やり直せる」
そう信じていた自分が、確かにいたんです。
けれど現実は、思い描いていたものとはまるで違いました。
仕事を終えて車に乗り込むたび、
ハンドルを握ったまま、しばらく動けなくなる。
頭の中には、今日のやり取りが何度も再生される。
上司の期待。
部下の視線。
どちらにも、うまく応えられない自分。
何かを決めれば、誰かが不満を抱く。
動かなければ、「何もしない人間」になる。
その板挟みの中で、
私はいつの間にか、
「何も決めないこと」を選ぶようになっていました。
本音を言えば、
ただ、自分だけが悪者になりたくなかった。
これ以上、心を削るのが怖かった。
――もう、気力が残っていなかったんです。
「なぜ、動けなくなってしまったのか」
「判断を間違えて、信頼を失ったらどうしよう」
「自分の一言で、誰かを傷つけてしまったらどうしよう」
そんな思いが先に立ち、
いつの間にか、
“自分がどう思うか”よりも、
“正しそうな答え”を探すことが癖になっていました。
会議の最中も、
何かを決めなければならない場面でも、
頭の中で最初に浮かぶのは、
「これは正解だろうか」
「失敗しないだろうか」
という問い。
自分が何を感じているのか、
本当はどうしたいのか――
そんなことを考える前に、
“間違えない答え”を探しに行ってしまう。
そのうち、
「自分は判断を間違える人間だ」
「自分には決める資格がない」
そんな言葉を、
誰に言われたわけでもないのに、
自分で自分に貼りつけるようになっていました。
動けなかったのではありません。
ただ、
“間違えないようにする”ことに
必死になりすぎていただけだったんです。
「副業でも、同じことが起きていた」
副業でも、まったく同じことをしていました。
「自分で稼ぐ力をつけて、家族を安心させたい」
そう思い、
本を読み、教材を買い、
“正しいとされていること”を、
できる限り真面目に集めていきました。
どこかで、
「今は結果が出なくても、
2年も続ければ、きっと形になるだろう」
そんな期待を、
自分に許していたのだと思います。
けれど、
一年経っても、
二年経っても、
数字はほとんど動かない。
画面の向こうでは、
同じように始めたはずの誰かが、
「月◯万円達成しました」と報告している。
そのたびに、
胸の奥で、
小さく、でも確かな声が鳴る。
「やっぱり、自分はダメなんじゃないか」
「結局、何をやっても中途半端なんじゃないか」
家族、とくに妻の期待を思うたび、
その声は、
否定ではなく“事実”のように聞こえてきました。
――努力が足りなかった。
当時は、そう思っていました。
でも、今振り返ると、
私はここでも、
“自分の感覚”ではなく、
“正しそうな答え”を
追い続けていただけだったのかもしれません。
第2章 「いつから“正解”を気にするようになったのか」
改めて振り返ってみると、
「子どもの頃はもっと直感に従って生きてたのにな…」
そう思うことってありませんか?
でも気づけば、いつからか正解を求めて生きるようになった。
「間違わない、失敗しない、ヒトに迷惑をかけない」
これらのことが、年を重ねるにつれ、
段々と刷り込まれていくようになった気がしてなりません。
「正しいことをしないと、疎外感が生じてしまう。」
「周りに合わせなければ、生きていけない。」
そんな感覚が、
無意識のうちに芽生えてきたのではないでしょうか。
周りに合わせて上手く生きていきたいというより、
極力自分が傷つかないように生きていくために、
ただ“そう振る舞うこと”を選んでいただけなのかもしれません。
「褒められる選択」「怒られない選択」
「学校で先生に褒められた」
「お母さんに怒られないように振る舞った」
そんな小さな経験を、あなたもきっと覚えているはずです。
最初は、ただ嬉しかっただけ。
ただ、怒られるのが怖かっただけ。
でも、いつの間にか――
自分がどう感じるかよりも、どう見られるかで選ぶようになっていきました。
- 褒められそうな方
- 怒られなさそうな方
- 波風が立たない方
- 安全そうな方
それは、誰かに評価されたいからというよりも、
これ以上傷つかないための、自然な選択だったのかもしれません。
褒められたときに感じる安心感。
怒られそうな気配を察知したときの緊張。
その積み重ねの中で、
いつしかそれを「自分の気持ち」だと勘違いするようになった。
本当は、
感じていたのは“喜び”でも“納得”でもなく、
ただの安全確認だったのに。
そうやって私たちは、
この世界でうまくやっていくための振る舞いを、
少しずつ、無意識のうちに身につけていったんです。
「間違えない人間になる訓練」
「ヒトの気持ちを考えようね」
学校生活の中で、
一度は聞いたことのある言葉ではないでしょうか。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
思いやりは、大切なものです。
ただ、いつからか――
自分の気持ちよりも、誰かを優先することが“正しさ”だと
無意識に刷り込まれていった感覚はないでしょうか。
「自分が我慢すれば丸く収まる」
「ここで波風を立てるのは良くない」
「嫌でもやっておいた方が安全だ」
そうやって選び続けているうちに、
気づけば私たちは、
“間違えないこと”を最優先に考える人間になっていました。
社会に出てから、その傾向はさらに強くなります。
評価を下げないように。
責任を追及されないように。
失敗と見なされないように。
いつの間にか、
「うまくいくかどうか」よりも、
「失敗しないかどうか」で物事を判断するようになっていた。
それは怠けでも、逃げでもありません。
そうしないと、
これ以上自分を守れなかったから。
私たちは、
間違えない人間になるための訓練を、
知らず知らずのうちに受け続けてきただけなんです。
「こうして、内側の声は小さくなる」
世間的に、常識的に――
そんな「外の声」が大きくなるたび、
「自分はどう思っているのか」という内側の声は、
少しずつ、後ろに追いやられていきました。
「自分で決めて、もし間違っていたらどうしよう」
「失敗して、周りに迷惑をかけてしまうかもしれない」
そう考えるたびに、
私たちはある結論に近づいていきます。
自分で決めない方が楽だ。
誰かの言う通りにした方が安全だ。
こうして判断は、
“感じる”ものではなく、
“従う”ものへと変わっていきました。
その結果、
内側の声は消えたのではありません。
使われなくなっただけなんです。
これは、弱さでも、怠慢でもありません。
これ以上、傷つかないために。
これ以上、否定されないために。
そうやって心が選んだ、
ごく自然な防御反応でした。
誰もが、強く生きられるわけではない。
ただ――
これ以上、自分を守れなかっただけ。
それだけの話だったのだと思います。
「あなたは、そう生きることを覚えただけ」
ここで、無理に答えを出す必要はありません。
ただ一つ、こう捉え直してみてもいいのかもしれません。
あなたは、自分を失ったのではなく、
“そう生きることを覚えただけ”だったのではないか、と。
間違えないために。
傷つかないために。
誰かに否定されないように。
その選択を続けてきた自分を、
ここで裁く必要はありません。
大きく舵を切り直す必要も、
何かを変えようとする必要もない。
まずは、
そうやって生き延びてきた自分がいた
という事実を、
そのまま認めてあげるだけで十分です。
何が正解だったのかなんて、
今になって誰にも分かりはしません。
ただ――
ここまで辿り着いたあなた自身を、
否定する理由も、
本当はどこにもないんです。
第3章「変わる前に、戻るという選択」
では、「戻る」とはいったいどういう感覚なのでしょう。
それは、行動することで無理やり変わることではありません。
何かを決めることでも、正解を見つけることでもない。
一度、立ち止まって、
「今の自分は、何に反応しているのか」
ただそれに気づいてみることです。
「なぜ、自分は」ではなく、
「自分は、今どう感じているのか」
そこに正解は存在しません。
うまく言葉にできなくてもいい。
ただ、自分の声に耳を傾けるだけで十分なんです。
「内側の声は、消えたわけではない」
あなたの内側の声は、決して消えたわけではありません。
何かを決断する時、行動しようとした時、
ほんの一瞬、胸の奥がざわついたり、違和感を覚えたことはなかったでしょうか。
それは小さいながらも、確かに心の声として発せられていたはずです。
ただ、それ以上に外からの声が大きく、
不安に駆られ正解を求めようとしたあなたは、
いつしか内側の声を聞こうとしなくなっただけのこと。
「あの人のいうことなら間違いない」
「このやり方が正解なんだ」
そうやって自分の声を押し殺すことと引き換えに、
あなたは安心感を得たかったんだと思います。
ただ、それはあなたが安心して生きるために選んだ、
ごく自然な選択だったんです。
「問いを変える」
これまであなたは、
「どうすれば上手くいくのか」
「何が正解なのか」
という外部からの呪縛に囚われて、自分を見てきたのではないでしょうか。
「失敗して自分の評価を落としたくない」
「誰かに嫌われて、これ以上メンタルを削りたくない」
これもすべて、自分の身を守るための選択です。
けれど、
その問いに答え続けても、
なぜか心の奥のモヤモヤだけは消えなかった。
これも、偽らざる本心でしょう。
問いを変えることとは、何も難しいことではありません。
正解を探す問いから、
「今、自分の中で何が起きているのか」
という問いに、そっと戻してあげることです。
たとえば決断を迫られたとき、
すぐに答えに飛びつくのではなく、
「今、自分は何を感じているのか」
「本当は、どうしたいと思っているのか」
その感覚を、良し悪しをつけずに眺めてみる。
無理に変わろうとしなくていい。
行動を起こさなくてもいい。
ただ一度、立ち止まって自分の声に触れる。
それだけで、これまでとは少し違う位置から、
物事を見ることができるようになります。
小さな実践の入口
ここでいう「小さな実践」とは、
何かを変えるための行動指針ではありません。
あなたは、もう十分に行動してきました。
ここで必要なのは、
「一度、立ち止まり、ありのままに感じている自分を言葉にすること」だけです。
私の場合は、
ノートにただ一行、
「仕事に行くのがツライ」
と書いただけでした。
誰かに伝えるためでもなく、
うまく言葉にしようともせず、
ただ、自分がそう感じていることを、そのまま置いただけです。
それで十分でした。
ここは、
あなたがあなた自身を理解するための場所です。
誰かに見せる必要も、
正しい言葉を選ぶ必要もありません。
言葉にするという最小の行為が、
自分の内側と向き合う入口になります。
「足さなくていい、戻ればいい」
「具体的な行動」
「世間体からくる正解探し」
これ以上、
あなたが何かを足す必要はありません。
ただ、
これまで見過ぎてきた外の声から、
ほんの一瞬だけ目を離し、
すでに自分の中にあった内側の声に、
もう一度だけ触れ直してみる。
それで十分です。
これは、
成長するための訓練でもなければ、
変わるための処方箋でもありません。
今日ここまで読み進めたあなたが、
「ああ、自分はずっと必死だったんだな」
そう気づけたとしたら、
それ自体が、もう“戻る”という営みです。
そこで初めて、
何かを変えなくても、
見失っていなかった自分の輪郭に、
触れることができるのだと思います。
第4章「すぐに何かが変わるわけじゃない」
内側の声に触れたからといって、
明日から劇的に人生が好転するわけではありません。
不安が消えるわけでもなければ、
周囲の環境が変わるわけでもないでしょう。
正直なところ、
「で、何が変わったの?」と感じる人もいると思います。
戻るという営みは、魔法ではありません。
何かを解決してくれるものでもない。
ただ一つあるとすれば、
これまで無視してきた自分の感覚を、
一度だけ、置き去りにしなかった――
それだけのことです。
以前と同じ日常の中で
外から見れば、
状況も環境も、何も変わっていません。
それでも、
自分の内側では、
ほんのわずかな“ズレ”のようなものが
生まれている人もいます。
それは、
外の世界に正解を探していたときの自分と、
今の自分とを、
少し離れた場所から見ているような感覚です。
もちろん、
これで不安が消えるわけではありません。
また、外からの声に振り回される日もあるでしょう。
ただ、
以前のように、
その不安や迷いと
完全に同一化しなくなる――
そんな距離が、
ほんの少しだけ生まれることがあります。
「外に答えを探しそうになったとき」
不安が完全になくならない以上、
外に答えを探したくなる瞬間は、
これからも何度でもやってきます。
それに気づいたとき、
無理に止めようとしなくて構いません。
「あぁ、また外に答えを探していたな」
そう思えたなら、それで十分です。
以前のように、
気づかないまま流されていた頃とは、
そこが少しだけ違います。
間違えても、
「また同じことをしてしまった」
「自分はダメだ」
と、責めないでください。
不安が顔を出すのは、
あなたが弱いからではありません。
それと一緒に生きてきた時間が、
それだけ長かったというだけです。
戻れる場所がある、というだけの話
人は誰でも、
迷うこともあれば、
自分を見失うこともあります。
私も例外ではありません。
この場所は、
そんな状態になったときに、
無理に答えを出さなくてもいい場所として、
ここにあります。
「変わりたいけど、変われない」
「また答えを探してしまっている」
そう感じたとき、
思い出せたら、それで十分です。
ここは、
あなたを導く場所でも、
何かを解決する場所でもありません。
ただ、
少し立ち止まりたいときに、
立ち止まってもいいと思える――
それくらいの場所であれば、
それでいいのだと思っています。
第5章「ここで、立ち止まっていい」
ここまで読んで、 何かを始める必要はありません。
ただ、 今日のどこかで一瞬だけ、
自分の反応に気づけたら、 それで十分です。
もしまた、 外に答えを探しすぎてしまったら、
ここに戻ってきてください。
次は、 もう少し近くで話しましょう。
